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コラム

テンミリオンハウス「くるみの木」にまつわるコラム

昔の言葉が出てきます

今も昔とほとんど変わっていないのに、呼び方が変わってしまったものがある。
最近、思わず古い言葉が出てきてしまって、笑われたり、自分でも苦笑いしたりすることがある。

こうもり傘
今は単に傘。昔の洋傘は黒色でコウモリが羽をひろげたようだった。今でも、出かけるときに、「ちょっと!こうもり出して」などと言う人もいる。え?私だけ?
えりまき
今はマフラー。襟に巻くから「襟巻」。わかりやすいのになぜ変えるのだと、腹が立つ。一時、CMに出て来た「エリマキトカゲ」は「マフラートカゲ」になったのか?
国電
今はJR。日本国有鉄道時代の大都市圏の鉄道の名前。昔昔、私のオヤジは省線と言っていた。鉄道省だった時代の言葉だ。国電に代わる言葉として名前を公募し、「E電」と華やかに発表があったが、まったく使われず、消えてしまった
乳母車
今のベビーカー。そのほとんどがバギー。乳母車は籐製で四輪だった。戦後はほとんどいなくなっていた「乳母」が、傘でもさしながらゆっくり、幌のついた乳母車を押すという大正ロマンの世界の言葉なのだろう。
鼻紙、ちり紙
今のテッシュや、トイレットペーパー。薄く、柔らかくした紙だが、今考えれば、薄くてもけっこうごわごわと固かったり、隙間だらけだったりした。
護美箱
今のゴミ箱。町でも良くこの当て字を書いたゴミ箱を見かけた。我家の護美箱はコンクリート製で前面の取っ手付きの板を上にあげて、ゴミをかき出すタイプだった。

2020.8.29 冷水俊頼

昔の迷信

「食べた後すぐ寝ると牛になってしまう」
子供でも本当に牛になるとは思っていなかった。しかし、子供心にも、行儀作法(今や死語?)の一つとして理解していたと思う。よく覚えているということは、しょっちゅう言われたと言うことなのだろうか。年取って窮屈はいや、何でもラクチンが良いとなって、今や、食後に限らずいつでもゴロゴロしているが牛にはなっていない。
「バナナを食べると疫痢(えきり)になる」
昔、バナナは高価でめったに食べられなかった。バナナをむしゃむしゃ食べるチンパンジーがうらやましかったものだ。食べたがる子供に、大人がこう言って収めたのだろうか。ちなみに、疫痢とは、子供の細菌性赤痢の重症のもので、衛生管理が行き届いた最近では聞かない。
「アイスキヤンデーの中の棒を舐めると疫痢になる」
これはローカルな迷信かもしれない。今のアイスキャンデーは平べったいものが多いが、昔は割り箸の周りに円筒状にアイスがついている棒状のものだった。卑しく芯にくっついたアイスをペロペロ舐めるなということなのだろう。菓子など十分でない時代だ、未練たらしく、こわごわと最後までペロペロしていた。
「狂犬病の犬に噛まれるとよだれをたらしながら人を噛むようになる」
今でもこのフレーズを聞くと、ハアハア息をしながら、長い舌を出して、よだれをたらし、牙をむいて痩せこけた狂犬病の犬が近づいてくるのが目に浮ぶ。そして、噛まれると自分もゾンビのように人を襲うようになってしまうと思うと! 私は未だにトラウマになっていて、犬は苦手だ。
「ワカメやコンブを食べると、頭髪が増える」
ワカメもコンブも大好きで良く食べてきたが、しかし…
「霊柩車を目撃したら親指を隠さないと親が亡くなる」
今はめったに霊柩車を見ることはないが、見ると未だに親指がムズムズする。しかし、考えてみれば、私にはもう両親はいない。
「夜に爪を切ると、親の死に目に会えない」
今はもう安心して風呂を出た夜に爪を切る。

2020.7.7 冷水俊頼

ショウブ アヤメ

「くるみの木」の胡桃の木に瑞々しい緑の若葉が萌え、根元の姫あやめの葉も日毎に伸びて、遅れがちの今年の季節をとり戻してきました。もうすぐに、風薫る五月―。

端午の節句の、青空に泳ぐ鯉のぼり、菖蒲湯。

ショウブの、中央に筋が通り濃緑に光る剣の様な姿と鮮烈な匂い。

 ほととぎす 鳴くや五尺の あやめ草

男の子よ、清新で颯爽たれ、と祝って飾るにふさわしい季節の象徴です。

ここでいう「あやめ」は「六日<むいか>のあやめ 十日<とおか>の菊」(五月五日に間に合わぬ菖蒲、九月九日重陽の節句に遅れた菊)などと使われてショウブのこと、サトイモ科で花は蒲(ガマ)の穂の様な異形です。

菖蒲に続いては華麗なアヤメ科の出番。

花びらの基部に網目模様のアヤメ、淡青色にすき通るイチハツ、沢地に濃紫色のカキツバタ……伊勢物語九段 三河の八つ橋。

から衣 きつつなれにし つましあれば
はるばるきぬる たびをしぞ思う

六月~七月には大輪で色もとりどりのハナショウブ、堀切菖蒲園が名所です。

岩田 仁

福寿草

「くるみの木」のガーデニングで福寿草をひと株植えました。紅梅の根元近くにです。今年初の、金色に輝きに、遅れていた春の到来を告げられたのが嬉しくて。

全く、今年の季節は遅れていました。例年12月には咲くはずの、市内の乙女椿や蠟梅は堅い蕾のままです。立春を迎えても半月前~1月14日の雪が残り、地表は寒々と枯葉色。

それが2月6日になって、ポカッと暖かい南風が入ります。うらうらと日が昇ると、目にとびこんできたのは、金糸を束ねた様に光る咲き始めの福寿草、落ち葉の蔭に蕾がふたつ。
廻り来た季節に心ときめくひと時です。

見まわせば、白タンポポも3つ。咲き渋っていた椿や侘助は一斉に花を開き、白に、ピンクに、にぎやかです。これから、寒と暖を繰り返しながら、花、花…いっぱいの季節はもうすぐでしょう。

2013.2.25 岩田 仁

鶯宿梅(おうしゅくばい)

「くるみの木」の庭には、紅梅と白梅の老木が並んで、今年も沢山の蕾をつけました。 凍てついた季節に、春をまねく梅にはこんなむかし語りが。

平安、村上天皇の御代。御所に植える梅を探しあぐねた蔵人は、西の京のとある邸宅で漸く見事な紅梅に巡り会いました。献上がきまり掘りとられる梅が枝に、主の姫は惜別の想いをこめて短冊を結びます。

清涼殿に移し植えられた、色香も深い満開の紅梅、添えられた歌は、
勅なればいともかしこし うぐいすの 宿はと問はば いかが答へん

花を愛し、歌を賞でて、姫は紅梅内侍と呼ばれました。紀貫之の娘です。

「くるみの木」の梅も鶯をまっているでしょう。吉祥寺あたりでは、十一月には山から降りてきて地鳴きをしながら下枝を渡り飛び、三月の声をきくや「ホーホケキョ」と高らかに囀りをあげるのでした。しかしここ数年、姿をみるのも稀になっています。そう、今年こそ、みんなが集うこの庭に、うぐいすの訪れがありますように…。

2013.2.20 岩田 仁

柿の木

「くるみの木」には二本の柿の古木があり、初冬の西日に柿色の実が輝いています。渋柿かな、甘柿かな? 柿の木が少なくなった昨今、武蔵野の原風景を残して貴重です。

昔は戸毎といってよいほど身近で、それだけいろいろな言い伝えも。

“柿の木登りはだめ”― 堅い材なのにポキッと折れやすく、怪我が多かったようです。
“柿の下に乳母車を置かない”― 柿にいる1cmほどの緑色のイラガ虫にさされると大変。
なおこの虫、大豆くらいの白く堅い繭に篭りますが、この蛹は真冬の風物詩タナゴ釣りに最高のエサ。

青柿から防腐財の渋柿が、また古くは渋染布が多く使われましたが“血が走る”といって刀傷には避けられたそうです。

北風に柿紅葉が見事です。赤黄緑が鮮やかに混在するのが特徴。落ち葉は厚くて水っぽくって、掃除人泣かせでもあります。

2012.12.21 岩田 仁